一緒に暮らしているくらいだから確実に仲はいいわけだけれど、
個人と個人で生きているのだからすべてを許容できるわけではなくて。
親しき仲にも礼儀あり、とも言うけれど、その通りなんだとおもう。
それは考えてみれば定期的に繰り返している気がするけれど、
今シーズンはじめて妹氏と大喧嘩した。
大喧嘩というと両者対等にわーわー言い合うというイメージがするけれど、
実際はあたしがほぼひとりで4時間くらい熱くなっていた気がする(!)
謝罪を要求するつもりも、それこそ説教するつもりもないけれど、
ただ大事なひとだからこそ、小さなことが目にとまったりもするわけで。
大事なひとに対しては、あたしは何かをなあなあにしたくはないので
いちにちの作業計画を台無しにしてでも長時間かけてぶつかりましたとさ。
世の中にはいろいろなにんげんがいることは随分前から知ってはいても、
あたしの好かない部類のにんげんには、大事なひとだからこそなって欲しくない。
ひとと話をするときは意見の相違はあれどもそのひとの方を向く、だとか
信頼関係を保ちたいひとには中途半端な気遣いや嘘は失礼、だとか
そういうことを、きちんとからだにしみこませておいて欲しくて。
きっかけはひどく小さなことだったけれど、
彼女をきっともう何年もいちばん近くで見てきたあたしだからこそ
時々感情は昂ぶったけれども、おもうところを言わせてもらったのでした。
おもったことは、あたしは喧嘩ができないひととは仲良くなれないのだと。
昔かじった恋愛の相手は、喧嘩になると「めんどくさい」と逃げ出すひとでした。
確かに喧嘩って、泣いたり自己嫌悪になったり、気力も体力もいるもので
絶対に進んでしないものだし、できることなら避けたいとおもうもので。
だけれど、喧嘩ができることって強みだとはおもうんだよね。
ちゃんと仲直りできる自信があるから、喧嘩ができる。
こんなことで壊れる関係じゃないという確信があるから、喧嘩ができる。
最近は少ないとはいえ(嬉々)あたしは彼氏とは何回も喧嘩をしてきたし、
どれだけ泣いてもわめいても、お互い向き合ったまま本音を言い合ってきた。
親には小さいころから何度も怒鳴られたし、短気な父には手だってあげられたけど、
あたしが興奮して反抗した時期でさえ、お互いにからだの向きは変えなかった。
だから、ちゃんといまがある。いまだって、関係は途絶えていない。
あたしは決して積極性あふれたにんげんだともおもわないけれど、
それでもせめて自分の大事なひとたちとは、しっかり意見を伝え合っていきたい。
そうしないと、お互いの日々変化する思考やらパーソナリティやら、
軌道修正されないとおもうし。そういうのって絶対大事なんだ。
しかし! 自分が年上ってやだねーー・笑。(ちなみに妹とは4歳差)
たとえ自分が正しいとしても、相手を泣かすと虐めた気分になっちゃうし。
まるで自分が完全に悪人みたいな気がして、さりげなく自己嫌悪!笑
ちなみにあたしは、自分の是非に関係なく、最後にはきちんと謝ります。
喧嘩って感情的にはなるし、そういう部分に対して絶対に「ごめんね」なのです。
でも、自分のことばに責任を持つ覚悟があるから、口に出してる。
「もっと主体性を持って生きろよ」と何度も妹氏に訴えた今日だけど、
そのことばをあたし自身、ちゃんと肝に銘じておかなくてはとおもった。