□『卒業式まで死にません』
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ここにいるのは、特別な女の子ではありません。もしかしたら自分だったかもしれない「もう一人のあなた」です。渋谷、ゲーセン、援交、カラオケ―。青春を謳歌しているイマドキの女子高生かと思いきや、実は重度のリストカット症候群をしてクスリマニア。行間から溢れ出る孤独と憂鬱の叫びが、あなたの耳には届くでしょうか。死に至る三ヶ月間の過激にポップなモノローグ。
あたしがいちばん大事にしてる本、
南条あや『卒業式まで死にません』。
嘘じゃなく、今までに100回以上は読み返した。手垢と色あせと涙でボロボロだ。
彼女とこの本を知ったのは、彼女がもう死んでから数年も後のことでした。
大学2年の秋、あたしが丁度心理学や勉強や私生活に、限界を迎えてきた頃。
それでも、毎日薬をガポガポ飲んで、少し前から規制が厳しくニュースにもなった、
某精神賦活剤(覚醒剤と同じ成分の薬)まで飲んで、フラフラでも大学に通っていた頃。
授業の合間に薬の副作用でフラフラしつつ入った書籍部で積まれていて、
そのタイトルに惹かれたのか何なのか解らないけど、パッと買ったのがきっかけ。
その「きっかけ」が、まさか今の自分にここまで影響を及ぼすとは、奇跡なのか。
彼女のファンは多く、彼女の真似をしてODをしたりリスカをしたりする子も、
残念ながらいる。だから、彼女のことを良く思わない精神科医や教育者もいる。
だけれど、あたしはそうでなく、彼女に酷く救われて来た。
確かに彼女は褒められるべきでない行為も綴ってる。だけど、それは苦しみゆえ。
自分の精神の病気の苦しみ、父親(片親でした)に理解されないことの哀しみ、
将来が見えない不安・・・それは、当時も今もあたしと重なる部分があって。
あたしは辛くなると、何度も何度もベッドの中でこの本を読んだ。
それだけじゃなく、彼女は死ぬ程苦しい現状を、読者向けに明るく綴っていて
(当時はリアルタイムに、ネットで日記を公開していたのです)
そこに見える気の使い方が、傲慢にもあたしがこのブログに綴るときと似ている気とか、
何より、彼女は驚くべき文才とボキャブラリーを持つ、立派なライターなんだもの。
今でも、本屋でこの本を見つけると、つい手にとってしまう。
書いてある内容が同じなのも解ってるのに、「もしかしたらその先があるんじゃないか」
そう思ってしまって、ページ開いて、結局彼女の日記は同じ日で終わっていて。
ああ、死ぬって、これ以上ページが存在しないということなんだと、知ったんだった。
今あたしが通っている病院は、あやちゃんが生前通っていた病院だってことも
(これはあたしが敢えて真似したのではなく、半年後くらいに知った偶然!)、
はぐちゃんと一緒に、去年の夏頃、あやパパのレストランに行ってパパやHさんに逢えたのも、
生前の彼女の友達だった方に、本に書かれている嘘の部分を教えてもらえたのも、
あたしは、きっと彼女を知るようにできていたんじゃないかと思うくらいに。
彼女は、あたしに並々ならぬ影響を与え、生きる力をくれました。
と、今日この本を紹介したのは、彼女の命日が今日3月30日だから。
毎年、この日になるとあたしは、あやちゃんのことを日記に書く。
非難する人が多いのも解る、それでもあたしは、彼女の本を多くの人に知って欲しい。
彼女のような人がいたことを、彼女の様な苦しみを抱えている人がいることを。
死ぬとはどういうことかということを、本を読みきったときにきっと
ぽかーんと感じるから、少しグロい表現が「普通」の人にはきもち悪いかも知れなくとも。
あやちゃんに憧れて、カジュアルにリスカやODや自殺をする人がいなくなることを。
(ちなみに、あやちゃんは自殺ではなく推定自殺だったんだよ、ほんとは)
それだけはあたし、祈るし、訴えていきたいから。
あやちゃん(本名・鈴木純さん)、あなたはもうエンターテイナーメンヘラで
いなくていいから、ほんとのあなたのまま、空の上で笑って生きていてください。
いつか、逢いに行ったときには、あたしはあなたに、逢いたいです。
音声が出ないのが残念だけど、生前の彼女の貴重な(唯一の)動画。
彼女は当時(1990年代)、ネットの世界でカリスマメンヘラアイドルだったのでした。
その頃あたしはつゆ知らず、こんな将来を想像だにしていない、中学生でした。
ちなみに、あやパパのハンバーグはあたしの23年間でいちばん美味でした、びびりますよ!